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2014年1月5日更新

【WHAT’S CMSC】

コルトモータースポーツクラブ(CMSC)
「歴史ある三菱車愛好クラブ」


2013CMSC全国大会にて

CMSCコルトモータースポーツクラブは、JAFが設立された翌年の1964年10月にサーキットレースの 三菱ワークスチームとして設立され、JAFにクラブ登録された日本でもっとも長い歴史と伝統を持つ モータースポーツクラブの一つである。

■由来

この本部設立以降、全国各地の三菱ファンがディーラーを中心にして自然発生的に各支部を設立した経緯を持ち、 現在も全国で独立した支部が地元販社と友好関係を継続しながら地域に密着した三菱ユーザーの底辺モーター スポーツ活動を展開している。こうした成り立ちや今に至る活動は日本の自動車メーカー系モータースポーツクラブ としては独自の形態で、ユーザーのモータースポーツと三菱車への情熱の現われでもある。三菱自動車にとっては、 かけがえのない財産の一つということになろう。

■歴史

とはいえ、クラブの歴史は順風満帆ばかりではなく、設立後にはまもなくオイルショックや不正改造、排出ガス 規制問題などが発生し、モータースポーツに対する世評が冷えた時期、スポーツポテンシャルのある市販車が とぎれた時期を迎えることに。さらに、2010年には三菱自動車がモータースポーツ事業から撤退という大きな危機に直面した。 だが、こうした時期もクラブ員の団結は堅く保たれ、これらを乗り越えて続いている。 当初サーキットレースのワークスチームとして発足した本部もラリーチームヘの変遷を経て現在に至っている。

■組織

組織は田口雅生が会長を務める東京の本部と、全国30箇所(道北、帯広、札幌、青森、秋田、岩手、山形、仙台、 福島、栃木、群馬、長野、茨城、埼玉 、千葉、東京、神奈川、浜松、愛知、岐阜、京都、大阪、兵庫、島根、広島、 香川、福岡、長崎、大分、鹿児島)の支部で構成される。 各支部がそれぞれ独立してJAFに加盟もしくは準加盟クラブとして登録されているのも特徴の一つといえよう。 各支部の会員数は10名から70名だが、全図CMSCの総勢は約800名を擁する一大組織となる。 尚本部のCMSC初代会長を37年間に渡り務めた外川一雄は、2001年8月25日開催された「CMSC全国大会」をもって勇退した。 2001年8月〜2013年7月までは、木全巌が第2代会長を務めた。

■活動

各支部はCMSC青森が開催した全日本ラリー選手権をはじめ、各地方選手権などのモータースポーツイベントや 走行会の主催を積極的に行なう一方、会員によるモータースポーツ参加活動も当然ながら非常に盛んである。 全日本選手権への出場者も多く、 これまでにもCMSCから多くのチャンピオン(以下の歴代CMSCチャンピオン一覧)が生まれている。

一方、JAF地域クラブ協議会の役員を務めるなど、地域のモータースポーツオピニオンリーダーとしても活躍 している会員が数多く存在する。こうした各支部の活動内容および連絡窓口は、別項に紹介する。

このほか、CMSCでは 全国大会を定期的に開催している。 会員が一堂に会し、結束と交流・親睦を深める目的で支部対抗ジムカーナや幹部会議、懇親会を実施するもので、 2007年は、8月4日に福島県二本松市のエビスサーキットで開催された。 2009年は、諸般の事情により中止となったが、 2013年は、8月17日に福島県福島市内のホテルと18日に二本松市のSSパークサーキットで、6年ぶりに開催し、 CMSC組織の健在をアピールした。

■歴代CMSCチャンピオン一覧 :全日本/スーパー耐久/APRC 地方


■CMSC会長 田口 雅生(たぐち まさお)
1952年生まれ、大学在学中に、当時の三菱国内ラリーチームのコ・ドライバーだった先輩の後任として、 1973年にCMSCに所属。 プライベートトップドライバーとして活躍中だったCMSC福島 故菅野茂選手のコ・ドライバーに抜擢。 1981年からはアドバン・ラリーチームの コ・ドライバーとして全日本ラリー選手権に出場。1984年のRACラリーを皮切りに、 1985年マレーシアラリーには篠塚建次郎のコ・ドライバーとして出場、 RACラリーには計6回出場。
1975年に三菱自動車工業株式会社入社、1981年に乗用車商品企画部に異動後、モータースポーツ担当も兼務し、 ワークスラリー活動の企画・運営に関与。1995年に株式会社ラリーアートへ出向。 2004年2月から2010年4月までラリーアートの代表取締役社長を務めた。またJAFのモータースポーツ委員として技術部会委員、 マニファクチャラーズ専門部会委員、さらにはFIAマニファクチャラーズ委員会委員等を務めた。

■CMSC第2代会長 木全 巖(きまた いわお)
1942年東京都出身。日本におけるモータースポーツ創生期からのラリードライバーの一人で、 1967年から三菱自動車国内ラリーチームの一員として活躍。
1969年第1回アジアハイウェイモーターラリー(ラオス〜シンガポール:全走行距離 6,000km)にコルト1200Sで出場、1974年には篠塚建次郎選手のコ・ドライバーとしてサザンクロス ラリーにも出場。
三菱自動車工業在籍時は開発本部に所属、三菱自動車のモータースポーツ活動の取りまとめ 並びに出場車の開発を推進。1999年〜2002年は(株)ラリーアートのゼネラルマネージャーとして世界ラリー 選手権(WRC)に出場する”マールボロ三菱ラリーアート”の総監督を務めた。
日本自動車連盟(JAF)のマニュファクチャラーズ専門部会並びにラリー専門部会の部会長を 歴任、ラリージャパンの招致に積極的に取り組んだ。
現在も国際自動車連盟(FIA)のマニュファクチャラーズ委員会他に出席、将来車両規則の検討 並びにグループN車両によるプロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)の発展に努めた。また、日本の モータースポーツの普及・振興についての中長期的なあり方についてJAF会長に提言することを目的に2007年にJAFに 設置された“モータースポーツ振興ワーキンググループ”の初代座長を務めた。

■CMSC初代会長 外川一雄(とがわ かずお)
1963年鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに三菱コルト500で出場、ドライバーとして 日本のモータースポーツの草創期を携わる。
64年JAF登録クラブ・CMSCの発足時に初代会長に就任、以後CMSCの歴史とともに歩み、2001年まで 会長を務めた。
JAFでの活動にも63年の設立時より関わり、スポーツ委員長をはじめとするモータースポーツ部門の 要職を歴任。83年から95年にはJMRC関東(JAF関東地域クラブ協議会)の会長として、JAF地域クラブマン活動の振興の 基礎を築いた。
なお、CMSC会長勇退後も2003年度までJAF全日本選手権レース審査員グループのリーダーとして 活躍した。現在はJAF関東地域クラブ協議会(JMRC関東)常任理事会の名誉委員を務めている。


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